会 社 沿 革 | ||||
大正12年 | 創設者竹内泰三郎、美瑛町村山にて創業。美瑛町の植林希望者に供給を始める。 | |||
昭和20年 | 荒廃した国土の緑化のため、苗畑事業に専念。 | |||
昭和31年 | 創設者竹内泰三郎死去。四男泰道が二代目継承する。 | |||
昭和32年 | 竹内山林種苗株式会社を設立し、苗畑面積を拡大する。 | |||
昭和40年代前半 | カラマツ苗木の育成が主流となる。 | |||
昭和40年代後半 | 育苗体系をトドマツへ切り替え、トドマツの優良苗木の安定供給を始める。 | |||
昭和50年 | 農地法により農業法人「有限会社竹内山林緑化農園」を設立する。 | |||
昭和54年 | 全国山林苗畑品評会において農林水産大臣賞を受賞。ならびに農林水産祭林産部門に おいて内閣総理大臣賞を受賞。 |
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昭和58年 | 歴史的な晩霜に遭遇し、育苗途中の苗木や造林地がほぼ全滅する。 その後、ほぼ毎年晩霜や枝枯病発生のため受益者のトドマツ離れが始まる。 |
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昭和60年代始め | アカエゾマツ・広葉樹主体の造林向け事業へと移行し始める。 | |||
平成5年 | 北海道のみどりの環境づくりに貢献したとして、北海道産業貢献賞を受賞。 | |||
平成9年 | システム化した苗木生産体制が高く評価され、農林水産祭にて天皇杯を拝受する。 | |||
平成11年 | 二代目社長竹内泰道死去。竹内一秋が三代目を継承する。 | |||
平成12年 | 他の第一次産業・異業種からの技術を積極的に取り入れ、独自の機械開発を始める。 | |||
平成14年 | 自社開発の全掘機が完成。実用新案登録される。 | |||
平成16年 | 亀井善之農林水産大臣(当時)が当社苗畑視察のため来社。 | |||
平成17年 | 全国山林苗畑品評会において、弊社としては四度目となる農林水産大臣賞を受賞。 | |||
平成18年 | 農林水産業の発展に貢献したとして、伊勢神宮より農事関係功労者顕彰を受賞。 | |||
平成19年 | 第58回全国植樹祭において、天皇・皇后両陛下にお手植えを賜る。 | |||
現 在 | 時代のニーズに応えられるよう、針葉樹・広葉樹などの多樹種育苗生産体系を整える。 苗畑面積65ha、山林面積520haの規模で、優良山行苗木の安定供給に努めている。 |
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主な受賞歴 | ||||
昭和54年 | 農林水産大臣賞 受賞 | |||
昭和54年 | 農林水産祭 内閣総理大臣賞 受賞 | |||
平成5年 | 北海道産業貢献賞 受賞 | |||
平成8年 | 農林水産大臣賞 受賞 | |||
平成9年 | 農林水産大臣賞 受賞 | |||
平成9年 | 農林水産祭 天皇杯 拝受 | |||
平成17年 | 農林水産大臣賞 受賞 | |||
平成18年 | 伊勢神宮 農事関係功労者顕彰 受賞 |
会 社 位 置 | |
美瑛町内略図 |
美瑛町へのアクセス | ||||
飛行機 | 旭川空港より | 車を利用 | 約15分 11km | |
J R | 新千歳空港駅より | 函館本線・富良野線 | 約2時間40分 | |
札幌駅より | 函館本線・富良野線 | 約2時間 | ||
旭川駅より | 富良野線 | |||
富良野駅より | 富良野線 | |||
車 |
千歳ICより | 約2時間40分 185Km | ||
札幌ICより | 約2時間10分 150Km | |||
旭川鷹栖ICより | 約30分 24Km | |||
富良野より | 約40分 33Km |